10月に更新することがあまり無さそうなので、このブログで読書感想文も書いてみようかなと思いました。
千年家族の3周目の追記のお知らせと、烈火の剣の進捗報告をしたいけどそれだけの記事では味気ないからというのもあります。
千年家族の記事
簡単にですが3周目の追記をしました。
烈火の剣の進捗報告は最後にします。
未定ですが、月一や隔月といった定期的なペースで続けていくかもしれないので今回は『読書感想文』シリーズ第一弾という位置づけにします。
前提として、まず自分語りを失礼ながらさせて頂きます。
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今まで生きてきて、読書欲が湧いたことは無かったと思います。
物心ついてからは無いはずでした。
ノベルゲーム・アドベンチャーゲームは好きで多少やったのですが、ボタンを押すといった動作なく目と頭の中だけでじーっと読んでいく読書というのは何か苦手意識があって、自分には向いてないこととして生きてきました。
ただ年々発達してきて、色々な表現に注意を払えるようにはなってきたように思います。
たまたま最近見ているお笑い芸人のYoutubeチャンネルで本を紹介するという動画を見て、なんとなく今なら読書を楽しめるような気がして、初めて読書欲を感じました。
この欲望を気のせいだと片づけてしまうか悩みましたが、欲望に従ってみることにして、とにかく何か読んでみようと思ってとりあえずこの作品をKindleで買いました。
すぐ読めて場所も選ばないので電子書籍で、そしてこの作品は「かまいたちの夜」を遊んだ時に知って頭の片隅にずっとあったものということでこの形での購入となりました。
小さい頃から自分の中に「読書って賢い人のすることでしょ」みたいな偏見もあったような気がしますが、読み始めると自然に受け入れられるような感じで、素直に楽しめるなと思えたのは嬉しいことでした。
なるほどこれが楽しくて皆は読書しているのかと納得できて、今後もたびたび読書するのも良いかなと思いました。
それでこの読書感想文を書いてみたり、それをシリーズ化してみようと思った次第です。
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というわけで、読書経験の極めて浅い人間が初めて自発的に読んで書いてみようと思った読書感想文であるということをご了承ください。
今までの読書経験としては、強制的に読書させられる時間に図書館で適当に借りたライトノベルや江戸川乱歩の何かの作品を読んだことがある程度で、あとは将棋関係の定跡書などを読んだくらいです。
そういえば遠い彼方の記憶ですが読書させられる時間に読んだ1作か2作の江戸川乱歩は面白かったように思います。ただ、当時のそれは読書の楽しさを感じたというよりも、テレビで流れている「名探偵コナン」のアニメをなんとなく眺める楽しさと同質のものを感じたということ…だと思います。
これを書くまで江戸川乱歩を読んだことなどすっかり忘れていたのでよく分からないです。人の記憶は信用できないものですね。
前置きが長くなり過ぎましたが、本題に入ろうと思います。
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〈ネタバレなし概要とちょっとした感想〉
『殺戮にいたる病』は、1992年発売の我孫子武丸の小説。
あまりに詳しくなさすぎるからよく分からないけど、推理小説と呼ばれるジャンルか。
2017年に出た新装版を読んだ。
東京を中心に起こる連続殺人事件、その犯人がついに逮捕された。
犯人である蒲生稔、逮捕時に呆然自失としていた母・雅子、逮捕時の通報者である樋口、3人それぞれの視点からこの事件について語られる…といった感じのあらすじ。
読書それ自体に慣れてないから、他者から見てどれだけ妥当性のある記述ができるか全くわからないけど、あくまで私の感想で言えば、エログロ描写が苦手でない限りわりと読み易い文体なのかなと思った。
徐々に明らかにされていく事実にワクワクしながら、今後の展開を予想しながら読み進めるのが非常に楽しい。
心理描写も印象的だった。
「あるある」と思えるような共感しやすいものもあったし、想像だにしなかった殺人者の心理もリアリティある描写で「なるほど」と思わせるものだった。
物語の時代は(たぶん)明確に言及されてはいないけど当時のリアルタイムである90年代初頭で、その時代について自分はほとんど知らないから新鮮に感じて楽しいと思った。
読み進めるうちにこの小説の読み方を理解していく感覚を味わった。
読書経験が浅すぎて他の作品・文章と比較できないし、他者の参考になるかとか全然分からないけど、読み進めるほど自分のアンテナが敏感になっていってどんどん読むのが楽しくなると感じた。
初めて読書欲が湧いてきて自発的に読む小説がこの作品で本当に良かったと思う。
いずれ、あるいはすぐにでも読み直したくなる作品で、この衝撃は一生心に残る気がする。
以下、ネタバレ有り。
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〈ネタバレ有り感想等〉
一般的に推理小説の類は「見事な伏線回収!」とか「衝撃のラスト!」とか「叙述トリック!」といった宣伝をしばしばされてるように思う。今まで読んできてないし興味を持って宣伝を見てきたわけじゃないけど。
私はどんな作品でもネタバレ的な要素を見ずに触れたいという気持ちがある(だからこのブログでもこういう風な形式をとってる)から、こういう宣伝を頼りにするのは何か抵抗がある。
そういうのを見ると必要以上にハードルを上げてしまいそうだし、作品のピークを見据えながら読むのはあまり自然ではないような気がしてしまう。
だから、感想を述べるうえでどこまで核心に触れるかって難しい気がする。大事な部分だから触れざるを得ないけど、言ってしまってはつまらなくなってしまわないだろうかという懸念がある。
とりあえず強烈なネタバレの前にはもう一回注意を促す表記をしようかと思う。
うまく体裁を整えられなさそうなので、とりとめなく書いてみる。
まずはキャラクターの面白さから。
稔は殺人鬼だし狂ってる(と傍目には思える)のも当然だけど、雅子も樋口も不安定なところがあって、緊張感を持ちながらまたワクワクさせられた。
稔の異常性はこれまで想像したこともないようなもので、こんな考え方・シチュエーションがあるのかと思ってとても楽しめた。
稔はそういう風に好奇心を持って見てたんだけど、読み進めるうちに雅子の方が怖くなってきた。
「おや?」というような違和感を序盤から持たせつつ、途中から急に本領発揮してくる感じが良かった。
樋口については、彼の境遇に感情移入してしまった。妻の乳がんのための手術で片方切られた乳房を見て、むしろ取り残された綺麗な乳房に痛々しさを感じるみたいな描写が抜群だった。樋口自身と重ね合わせられる感じで。
とりとめなく話していくけど、樋口の第一印象は妻に先立たれて老け込んだヨボヨボのおじいちゃんという感じだったのに、かおるという他者から樋口について指摘されるとそのイメージが大きく覆されることになった。
ここで主観を完全に信用すべきではないと明確に提示されて、この小説を読んでいくうえで注目すべきポイントを教えてもらえたような感じがする。
ファーストインプレッションがやはり振り返ってみても印象強く感じてしまう。
稔の殺人についてやはり最初の江藤佐智子が一番印象的。佐智子の艶かしさの描写がかなり好きだった。
衝動に駆られる感じが伝わる。その後はある程度計画を立てて犯行に及んでるからその比較もあるけど迫力がすごい。
「セックスとは、殺人の寓意にすぎない」とあの迫力で言われると、そうかも…ってなっちゃう。
相当な独りよがりではあるんだけど、ある種の説得力をもって伝わってくる感じがして凄かった。
稔の独りよがりの極致は加納えりかの殺害後、自宅の風呂場のシーンだと思う。あそこも抜群だった。画力(えぢから)が一番強いシーンという印象。
えりかの乳房を切り取って持ち帰って、鏡の前で乳房を自分の胸に当てて鏡を見るとそこにえりかが居る…なんて考えたことない発想で驚かされた。予想外の変態性を見せられると興奮する。
ここで特に好きなのが、「右の乳房は——彼女にとってはもちろん左だ――」という一節。
めちゃくちゃキモくて良いし、稔の主観ではもう鏡に映る虚像のようではないというのも伝わってきて良い。
稔が失恋と反省をして、次は絶対うまくやると決意するもまた失恋する…みたいな恋愛の普通のサイクルをいっちょまえに繰り返してるのも被害者を思うとやるせない感じで好きだった。
絞殺か扼殺かハッキリしてないワイドショーのあいまいさに憤る樋口の描写もそうだけど、全体的に心理描写が丁寧な感じがする。
自分はそういうアンテナに敏感じゃないから見逃してるところも色々あるだろうけど、当事者とか専門知識がある人特有の注目点が入ってる文章は何というか勉強になる感じがして好き。
専門知識が無いから変なこと言うかもしれないけど、死因が同じでも殺害方法が違うというのは警察にとって重要なんだと改めて気付かされた。
確かに絞殺と扼殺なら(扼殺の意味はちゃんと調べた)死体の痕を見れば特定されるだろうし、それくらいの情報なら正確に扱って欲しいという気持ちもわかる気がした。
言われりゃ当然なんだけど、なるほどなと思う。
あとは文章全体の話。
殺人事件を扱ってるし、全体的に重苦しい雰囲気が漂ってるんだけど、たまにくだらないジョークが入ったりして失笑してしまう感じが良かった。重苦しいだけじゃなくて適度な「抜け」がある感じ。
樋口が美絵に聞かせたしょうもない下ネタとか、「いい女は死んだ女だけ。」とか、竹田教授のズレた感じとか。
こういうののおかげで緊張し過ぎず、疲れ過ぎず読めたのかなと思った。
そして、稔がハマる岡村孝子の曲も凄く印象的だった。
岡村孝子という名前を知らなかったから軽く調べるとあみんのメンバーということが分かった。あみんは名前だけ聞いたことあるけど曲は思い浮かばないという感じだった。
当時の流行り、あるいは当時から少し前の流行りくらいの感じかなと思ってとりあえず曲は調べずに最後まで読んだ。
調べなかったけど、好きな曲でも心境の変化によって自分に響く歌詞が変わったりする感じとかは共感出来て良かった。
読み終わって岡村孝子で調べると夢をあきらめないでがトップに来る。これっぽいなと思って聞いてみると、サビのところで「この曲か!」となった。流石にどこかで聞いたことがあった。
ボーカルの音(特にサビ冒頭)からしてこのテンポじゃ腰を振るには遅いんじゃないかと思ったけど、ちゃんと聞くと自分が思ったのの2倍のテンポっぽいなと分かって、それなら割とちょうど良いなと思った。
その辺も計算されてるのかな。
声優とか歌手とかの声の良さって自分は鈍くてあまり分からないけど、岡村孝子の歌声が硬質で綺麗な感じというのは何となくわかる気がした。
で、今度はあみんを調べると「待つわ」が出る。
これは聞かずともタイトルだけでサビが浮かんだ。原曲(と思われるもの)は初めてちゃんと聞いたけど凄く良かった。
サビの裏打ちが印象的だったしハーモニーも良かった。
温故知新じゃないけど、自分が触れてこなかったものに触れる機会が出てくるから実在する曲とかが作品内に登場するのは好き。digのきっかけが与えられる。
幼女連続殺人が、物語の中の出来事なのか現実の出来事なのか断定できなかった。今調べると実際あった事件らしい。
こういう凄惨な事件、ネットで調べるのが好きな人は結構居る印象だけど自分はそこまで調べてこなかった。
こんなむごい事があったんだということを知れたのは良かったと思う。風化させるのも良くないけど内容がショッキングすぎるようなものは、創作に昇華されると良いのかなと思った。
当時のリアルタイムでは犯人の名前を出さずとも全員が知ってるような、明言を避けても通じてしまうような、ショッキングな内容を想起させてしまうのを忌むような雰囲気があったんだろうな。
稔の起こす事件と幼女連続殺人事件は犯行に一定の周期があることみたいな、類似点が結構あるからモチーフにしたという感じかな。
あとは、キルケゴールの『死に至る病』をオマージュしてるのはタイトルから分かるし冒頭に引用されてる。
『死に至る病』は倫理の授業で習ったことくらいしか知らない。死に至る病は絶望であるということと、字面通りの意味(死へ繋がる、自死へ走る)ではなく死ぬまで続くみたいな意味であるということというくらいは知っている。こんなんで知っているなんて偉そうに言えないとも思うけど。
稔が殺戮にいたる病にかかっているのはわかるけど、雅子や樋口も実際に殺戮しているわけではなくともこの病にかかっているのだろうかと気になった。その病への向き合い方が三人それぞれ違ったという事なのだろうか。
すなわち、稔はその病からくる欲望を自覚し欲に忠実に動き、雅子は無自覚に自分の理想が成し遂げられれば良いと病をなるべく無視し、樋口はかおると共にその病に向き合っていったという感じか。
ここから強烈なネタバレを含む。
あるいは…これはかなりの妄想だけど、雅子の殺戮は義母の存在のオミットであり樋口の殺戮は敏子(と美絵)が自分のせいで死んだと思うことというのもあり得るのか。
更に妄想を重ねると、稔はその病を世間に暴かれ形而下的な罰を受けざるを得ず、雅子はその病に正面から向き合わず無理な理想を掲げた結果として理想の破滅を招き、樋口はかおるが死ななかったことでその病を何とか克服(と言っていいのか)したという感じなのか。
あと気になるのは、かおるの今後のこと。
雅子は稔より怖い気がしたとは言ったけど、雅子の次に怖いと感じたのはかおるだったかも。
チラッと敏子が極度の男性不信に陥った描写が出てたけどかおるの口からはそういう言葉は聞かれなかったし、いけないことと分かっていても姉と同じものを欲しがるのはやめられないみたいだし、これからかおるは自分の人生を歩めるのだろうかと不安に思った。
樋口が敏子を抱くのを拒むのは美絵への愛が主だと思うけど、普通でないからみたいな気持ちもありそう。かおるを抱くのを拒むのはそこに罪の意識があるからというのが大きな割合を占めてそう。
そして、どちらの場合もこんな自分なんてダメだという自虐的な気持ちが感じられてしまう。
刑事であったころの自分と比較して自虐的な樋口をずっと見てきてるから、なんだか意地をはってるように見えてしまう。こんなことはとにかくダメだからダメなんだ、みたいな。
私は、そういう意地から解放されるのも一つの前向きな選択かもよと傍目から偉そうに思ったりする。一方で毅然として断り続けるのも筋が通ってて美徳であると思う。
どうすべきか、今の私には分からない。
樋口に感情移入してるから、かおるが幸せになれるよう願ってはいるものの、放っておいても彼女は大丈夫かというのが分からない。
かおるは不思議だなと思う。
なぜ敏子が生きていたころ、服や髪形を同じにすることがあったのか。
敏子の男性不信の件をなぜ言わなかったか、知らされてなかったか…。
書いてるうちに知らなかったという可能性にようやく気づいた。むしろそんなことを妹に打ち明けない方が敏子の性格からしても自然かと思った。もしかしたら敏子の方が謎多き存在なのかも。
父と似た樋口の愛を求めたのは本当にかおるの言う通り父が自分より妹を可愛がったからなのだろうか。
敏子は自分の欲しがるものを妹にあげながら何を思っていたのだろうか。夫と妹の不倫関係について、妹が誘ったのではと思わなかったのだろうか。どちらにせよ夫と喧嘩し離婚して、男性不信に陥ったということらしいけれど。
かおるの気持ちも個人的にはわかるところがある。
自分が好意的に思ってる人の趣味とかを、真似して自分も始めるというのは私にもよくあったことだから。
むしろそういう風に誰かに影響されて、真似して好きになったものばかり。自発的に辿り着いた自分の好きなものなんて思いつかない。皆そんなもんなのかは分からないけど、自分はそれをコンプレックスに思っている。だからかおるが今後どうするのかという事が気になるのかなと思ったりもした。
前のシーンを読み返したり、仕掛けを気づこうとする読み方はどれくらいのバランスでやればいいか迷った。とりあえず読み返さずにある程度素直に読もうとしながら、疑問点を頭の中にあげてみてそれを考慮しながら読んでた。
まず疑問が浮かんだのは、稔がどういう殺人を繰り返していくのか分かったときのこと。
稔の逮捕時、そこに樋口が居合わせるのは分かる。多分犯人を追って来たんだろうなと。
ただ、そこに雅子が居るのが分からなかった。初見では自宅で誰かを殺して逮捕されたのかなと思ってたけど稔のターゲットは自宅には居なさそうだと思った。雅子も犯人を追ったのか…など色々と考えてたとき、ふとある想像をした。
殺されたのは雅子なのではないか…と。その想像のあまりの衝撃に身震いしたあと、そういえば精神鑑定の際に雅子が頼んだ医者がいたからこの想像に無理があることはすぐに分かった。
衝撃に身震いするなんて初めての経験でびっくりした。無理があったにせよ私にとってこんな初めての衝撃を与えてくれた作品だった。
そして、この想像を実現可能な形に変換するのがオチで判明する叙述トリックだった。
巻末の解説の言葉を借りれば「息子=父親」という図式。
このシンプルさで、これまでの疑問点が綺麗に繋がるということに驚き呆れた。
なんとなく今までの経験上、オチに期待しないように生きてきた。どんな作品でも途中のどこかが面白ければそれで良いと思ってた。
オチが物語のピークで、ピークに達した瞬間終わるという作品に初めて出会ったかもしれない。ブザービーターが決まったような劇的な終わり方。
最初からずっと先が気になりながら楽しく読んでたけど、特に物語の最後の方はなんかは「428」の最後を進める気分に似てた。
目まぐるしく視点が変わって、その速いテンポに乗せられて立ち止まることができずラストまで読み進めてしまう感じ。終わりに向かう寂しさと期待感を噛みしめる暇もなく、浮かぶ疑問について考える前に次の展開がやってきてそれに夢中になってしまう感じ。
そうやって読んでいくうちにスパっと終わるのが凄かった。
読書感想文を書くためというのもあるけど、読み終わって少ししてから半日かけて2周目を読んでみた。
「エトセトラ、エトセトラ」とか「入学試験」とか、違和感ある表現がいくつかあったのはこのためかといった色々な発見があって面白かった。
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良い読書体験が出来ました。最初は2,3週間かけて読もうとしたけど夢中になり過ぎて3日程度で読み終わってしまいました。
読書を楽しめたし、次読む本も決めました。読みたくなったら買って読もうかと思います。
次の読書感想文は来月か再来月か…いずれ上がる予定です。
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さて、ここからは進捗報告です。
今後の予定としては、4周目でペアエンドのほとんども回収して、5,6周目はエリウッド編・ヘクトル編それぞれのハードモードを遊んでそこでひとまず区切りとしようかなと考えています。
たぶん来月中には終えられる気がしますが、読書したりこの記事を書いたりしててなかなか進まなかったりしてます。
今のところは、次回更新は来月の烈火の剣の記事になる予定です。
ゲームが終わらないだけで、ブログのモチベーションは下がってないです。烈火の剣が終わってからはまた良い感じのペースで投稿できたらと思います。
では。